歴代チャンピオン

金子ジムから生まれたチャンピオン達!

松本芳明
第18代 日本フライ級チャンピオン
松本芳明(Yoshiaki matsumoto)
戦績:50戦26勝(9KO)13敗11分
金子ジムのチャンピオン第1号。1968年(昭和43年)2月、気風の良い江戸っ子らしいボクシングでスピーディー早瀬(中村)からタイトル奪取。リターンマッチで敗れたものの、安定した活躍を見せ、後の世界チャンピオンとも多くの対戦実績を持つ。花形進(横浜協栄、1勝1分)、エルビト・サラバリア(比国、1敗1分)、大場政夫(帝拳、1敗)

岩田健二
第9代 日本ジュニア・ライト級チャンピオン(現スーパーフェザー級)
岩田健二(Kenji Iwata)
戦績:37戦24勝(11KO)11敗2分
金子ジムに入門しアマチュア部で25戦の経験を積んだ後にプロデビュー。1970年(昭和45年)10月、東海林博(ヨネクラ)を下しタイトル獲得。2度の防衛後、1971年11月、敵地ベネズエラにて世界Jr.ライト級チャンピオン、アルフレッド・マルカノに挑戦するが惜しくも6RKO負け。金子ジム初の世界挑戦者。

村田英次郎
第19代 OPBF東洋太平洋バンタム級チャンピオン
村田英次郎(Eijiro Murata)
戦績:29戦24勝(15KO)2敗3分
中学卒業と同時に金子ジム合宿生としてボクシング一筋の生活を開始。アマチュアで経験を積み、モントリオール五輪候補から19歳でプロ転向。1978年(昭和53年)12月、金栄植(韓国)からタイトル奪取。右クロスカウンターを主武器に5年間東洋無敵を誇り、1983年(昭和58年)引退まで12度の連続防衛は、この階級のレコードである。その間4度、世界タイトルに挑戦したが2分2敗で涙を飲んだ。中でも初挑戦のルペ・ピントール戦は素晴らしい激闘を演じ「村田が勝った」と誰もが勝利を確信したが…悲運の名ボクサー。引退後は金子ジムトレーナーを経て、大阪の地でジムを開設、エディタウンゼントジム会長として手腕を発揮している。

西村貴晴
第39代 日本バンタム級チャンピオン
西村貴晴(Takaharu Nishimura)
戦績:14戦10勝(5KO)4敗
村田英次郎のスパーリングパートナーを務めながらテクニックを磨き、1984年(昭和59年)11月、今里光男(トーアファイティング)を5回KOで下しタイトルを獲得。初防衛に失敗するとあっさりとボクサー生活にピリオドをうつ。元々運動神経が良く、キビキビとしたキレのある動きとパンチの当て勘の良さは見る者を心地よくさせる魅力のあるボクサーだった。

早山進
第16代 日本ジュニア・フライ級チャンピオン(現ライトフライ級)
早山進(Shin Sayama)
戦績:22戦9勝(7KO)13敗
7連敗の苦悩を乗り越えて、1989年(平成元年)1月、大方の予想を覆し、喜友名朝博(協栄)を3RTKOで下しタイトル獲得。軽量級屈指のハードパンチャー。本名:田中正人

ケビン・パーマー
第34代 OPBF東洋太平洋ミドル級チャンピオン
第44代 日本ミドル級チャンピオン

ケビン・パーマー(Kevin Palmer)
戦績:26戦24勝(15KO)1敗1分
米国海軍横須賀基地所属の軍人ボクサー。ジムまで2時間掛けて通い、コツコツとテクニックを磨いた。1995年(平成7年)8月、保住直孝(ヨネクラ)を10RTKOで下し、空位だった日本ミドル級タイトルを獲得。3度防衛後の翌、1996年9月、無敗の王者、金終模(韓国)を明確な判定で下し東洋太平洋タイトルを獲得、6度防衛。金子ジム初の2冠王者となったが、世界挑戦の機会には恵まれなかった。

新田勝世
第32代 OPBF東洋太平洋バンタム級チャンピオン
新田勝世(Shohsei Nitta)
戦績:34戦23勝(17KO)9敗2分
現役国大生ボクサーとして注目を集めるも、なかなかタイトルを手にする事が出来なかったが、1996年(平成8年)10月、予想を覆し呉張均(韓国)を7RKOに下しタイトルを獲得。国立大卒ボクサー初のチャンピオンとなる。ピーク時にはコンディション不良に悩まされたが、左右のフックに威力を秘め、「魂のファイト」でファンを魅了した。まさに「執念」での戴冠であった。引退後、米国への移住や執筆活動の後「新田ジム(現川崎新田ジム)」を開き後進の指導にあたる。本名:新田渉世

木谷卓也
第23代 日本スーパーフライ級チャンピオン
木谷卓也(Takuya Kiya)
戦績:23戦18勝(13KO)4敗1分
金子ジム叩き上げの好戦的なボクサーファイター。2001年(平成13年)4月、タイトル決定戦にて元チャンピオンの松倉義明(宮田)を5RKOに下しタイトル獲得。地道な努力を実らせた、武骨なファイター。引退後、金子ジムトレーナーを経てオザキジムマネージャーに就任し、ジムの運営に力を注いでいる。

伊藤俊介
第51代 日本ライト級チャンピオン
伊藤俊介(Shunsuke Itoh)
戦績:27戦22勝(17KO)4敗1分
鈴鹿ニイミジムでデビュー後、2001年(平成13年)に金子ジムに移籍。移籍後7連続KO勝ちをマークした“イケメン・ハードパンチャー”2005年(平成17年)11月、久保田和樹(相模原ヨネクラ)を2RTKOに下し、日本ライト級タイトルを獲得。甘いマスクと裏腹に荒削りなスタイルから繰り出すパンチ力が魅力。2階級制覇を目指し、スーパーライト級でもトップコンデンター(1位)に上がったが、モチベーションの問題で引退を決意。2009年「森田瞬」のリングネームで再起したが、結果を出せず引退となった。

高橋良輔
第11代 OPBF東洋太平洋クルーザー級チャンピオン
高橋良輔(Ryosuke Takahashi)
戦績:23戦17勝(9KO)5敗1分
2005年(平成17年)3月、日本人初となる東洋太平洋ヘビー級タイトルへの挑戦が実現するが、オケロ・ピーター(緑)に3RKO負けを喫しその厚い壁にはね返された。2006年(平成18年)12月、アマチュアキャリア300戦を誇るナーミン・サバノビック(オーストラリア)からダウンを奪い12R判定で東洋太平洋クルーザー級タイトルを獲得。日本人としては2人目の快挙を達成した。ヘビー級へのこだわりをもって2階級制覇を目指していたが、JBCルールによる年齢制限によりライセンスの発給がストップされた。現在は、スポーツトレーナーとして活躍中!

清水智信
第20代 WBA世界スーパーフライ級チャンピオン
第51代 日本フライ級チャンピオン

清水智信(Tomonobu Shimizu)
戦績:24戦19勝(9KO)4敗1分
78戦のアマチュアキャリアを経て、2004年(平成16年)3月金子ジムよりプロデビュー。2007年4月には敵地タイ国にてWBC世界フライ級タイトルチャンピオン、ポンサクレックに挑むも7R終了時棄権によるTKO負けを喫する。2008年(平成20年)4月、吉田健司(笹崎)を判定に下し念願の日本タイトルを獲得。同年7月、内藤大助(宮田)のWBC世界フライ級タイトルに挑んだが、10RKO負け。直前までポイントではリードしていただけに悔しい逆転負けであったが、存在をアピールした。2010年11月、保持する日本タイトル(4度防衛)を返上し世界奪取に照準を絞る。2011年8月、1階級上のスーパーフライ級でWBAチャンピオン、ウーゴ・カサレス(メキシコ)に挑戦、予想を覆す見事なボクシングを披露し悲願の世界タイトルを奪取!金子ジムから初の世界チャンピオンが誕生した。タイトル獲得試合にて負った眼窩骨折を理由に「休養王者」とされ、2012年4月、テーパリット・ゴーキェットジム(タイ)との王者統一戦を行ったが、9RレフェリーストップによるTKOを喫し王者陥落。2012年9月、引退を発表、故郷福井にてフィットネスジムの経営を開始、アマチュアボクサーの指導者となる。2015年5月、福井県県議会議員に当選する。

大竹秀典
第36代 日本スーパーバンタム級チャンピオン
第43代 OPBF東洋太平洋スーパーバンタム級チャンピオン

大竹秀典(Hidenori Ohtake)
戦績:37戦31勝(14KO)3敗3分
2005年(平成17年)12月デビュー、2006年には東日本新人王決勝戦に進出するも引き分け(敗者扱い)、更に翌2007年も無敗のまま再び東日本新人王決勝へと駒を進めるが、その年の全日本新人王(MVP)の古口学(古口)に僅差の判定負けで初黒星を喫する。その後、着実に実力を付け2009年(平成21年)に日本ランキング入り。2012年(平成24年)8月、空位のタイトルを中嶋孝文(ドリーム)と争い判定勝ちでタイトルを獲得、同年12月、指名試合にて元同級暫定王者で1位の瀬藤幹人(協栄)を3-0判定で下し、初防に成功。その後2014年3月までに4度の防衛に成功。同年9月、タイトルを返上し世界に照準を絞る。その直後、同年11月22日、英国リヴァプールにてWBA世界スーパーバンタム級王者、スコット・クイッグ(英国)への挑戦が実現したが0-3の判定で敗れる。急遽決まった敵地での世界戦は十分に世界で通用する実力者である事を証明した。2017年3月、空位のOPBFタイトルをフィリピンのジェルビルト・ゴメラと争いダウンを奪う完勝で二つ目のベルトを手にした。同年7月19日、臼井欽士郎(横浜光)を10RTKOに下しV1、更に同年10月13日、関西のホープ丸田陽七太(森岡)を3-0の判定で圧倒しV2に成功。2018年3月、指名挑戦者のブライアン・ロベターニャ(比国)を10RTKOに下しV3を成し遂げた。2018年8月、米国アリゾナ州グレンデールにてWBO世界スーパーバンタム級王者、アイザック・ドグボエ(ガーナ)への挑戦が実現したが無敗の王者の前に1RTKO負けを喫した。

細川チャーリー忍
第50代 第52代 OPBF東洋太平洋ミドル級チャンピオン
第4代 WBOアジアパシフィックミドル級チャンピオン

細川チャーリー忍(Shinobu”Charlie”Hosokawa)
戦績:20戦12勝(11KO)7敗1分
2018年9月、前年の対決では判定で敗れている秋山泰幸(ワタナベ)に11RTKOで勝利しリベンジを果たすとともに、OPBF、WBO・APのタイトルを同時に手にした。
2019年2月、敵地大阪市にて大ベテラン、野中悠樹(井岡弘樹)を相手に初防衛戦に臨んだが、1Rにダウンを喫する苦しい戦いとなり「あわや逆転か」という場面を作りながらも判定で敗れタイトルを失った。
2019年7月、空位のOPBFミドル級王座を元王者の太尊康輝(角海老宝石)と争うが、引き分けに終わった。同年10月、7月に引き分けた太尊とのダイレクトリマッチを行い、8RTKO勝利しOPBF東洋太平洋ミドル級王者に返り咲いた。
2020年1月、1位で日本王者の竹迫司登(ワールドスポーツ)との初防衛戦に臨んだが0-3の判定でタイトルを失った。
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